記憶が保てるように

主に舞台や本、映画などエンタメと日常の話

最近読んだ本/2021.1-2らへん

 

土曜日、宅配のインターホンで起きた。届いた荷物を開けるとこんな風呂敷が。

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えっと思いつつ開いてみると北海道から届いた““春””でした。
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かわいい。こういうの、がっついてすぐ食べてしまうよね。起き抜けにフィナンシェを貪りつつ王様のブランチを見る。そして最近読んだものについて。

 

呪術廻戦/芥見下々 (1)〜(14)

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

呪術廻戦 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

言葉を選ばず「どのキャラクターも良!!!」という、これだけで完全に成立してしまった久しぶりの漫画。作品が自分ごとになるってこんな感じでしたね。笑 BLEACHルキア奪還編くらいのジャンプが世代的にドンピシャなもんで、芥見先生に対する(勝手な)同志感はすごい。(ごめん、15巻とFBこれから読む)

芥見先生が巧みなのは(というかわたしが呪術で好きなのは)いわゆる「少年漫画フォーマット」からのズラし・外し方がうまいところ。特に1年生トリオのバランス、本当にかわいい。虎杖と伏黒を見ていると、自分はオタク経験則から「主人公は熱血でライバルはクールで、二人はいつも噛み付き合っている」的な先入観を持っていたなと痛感する。二人がそうじゃなくて、とても目新しく映るから。あ、全然衝突してなくても成立するじゃんいいじゃん……と気づく。虎杖伏黒釘崎の、まあ特別馴れ合ってもないけど淡々とふつーに仲良しな雰囲気が、今っぽくていいなと思います。恵のギャップがすごい。ハイハイつんけんしてるライバルね知ってるよ顔で読み始めたら、あれ?意外と温厚だし自己評価低めだしけっこう素直だ……ふ、ふーん(好き)。っていう。インテリでありパワー系なナナミンとかもそうですが。ほんとみんないいよね。。呪術はBLEACHや色んな作品のエッセンスを感じるけど、十二国記ファンとしては乙骨くん・0巻あたりの設定に泰麒、仙子を感じずにはいられない。「残穢」の話もありましたし、先生「魔性の子」だけでも読んでるんじゃなかろうか。

と語りが捗るし、全体としてはこの漫画が好きなことを前提としつつ、気になるところもある。冒頭で提示されている虎杖の「せめて知ってる人には正しく死んでほしい」という行動の起点、個人的にはあまりぴんときてなくて、そもそも「正しさ」って少なからず危険を孕む考えなので、この作品が最後そのへんをどう巻き取るかで全体の印象が変わるかもなーと思ってる。

もうひとつはジェンダーの捉え方について。呪術はジェンダーストレスがないとしばしば言われているけどそこには半分同感(支持したい言葉もたくさんある)、もう半分は考えるところがあるよなと思っています。現実の社会課題をフィクションで描く理由はさまざまあるし表現には色んな形があって良いのだけど、わたしはできるならフィクションで「望ましい方向に転じた少し先の社会」を積極的に描いてほしいという気持ちが強い。作品の世界設定との相性で感じ方が変わる部分もあるし、今ある課題を共有することも大切だからうまく言えないんだけど。呪術のようなファンタジー作品でも「女の呪術師に求められるのは実力じゃなくて完璧」と言われてしまうと、あーこの世界でも同じ苦しみを見なきゃならならんのか……と苦く思ったり。このもやもやを、自分でもまだうまく解釈できてないんだけどね。

 

今のところコミックス派なんだけど、ネタバレを踏まずに生きていくことに限界を感じ始めてる&本誌派の方が今を楽しめるのでは?というところで悩み中。相変わらず誰が推しって感じでもないけど夏油と七海は特に好きで、つまりつらい。笑 これはオタク的な見方ですが、呪術はどのキャラを見ても最終的に「すべての道は五条悟に通ずる」みたいなところがあってコノヤローと思ってます。(褒めてる)

 

九龍ジェネリックロマンス(1)〜(3)眉月じゅん 

 ヤンジャンの無料キャンペーンで読ませていただいた。普段自分で手に取るタイプの作品ではないけれど、おもしろかった!今年の「このマンガがすごい!」オトコ編3位だと知り、美スタイルの女の子は確かに魅力的だしエッジは効いてるけど、こういうスロウな恋愛ものがヤンジャンで支持されてるんだな〜と意外性も感じた。わたしは副食的にサスペンス要素が出てくる、みたいな作品はけっこう好きになりやすくて(「北北西に曇と往け」とか)、この漫画もずっとやや不穏さが漂っているところがいいですね。

 

コンビニ人間村田沙耶香

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

この社会が「普通」とするラインに、果たして何割が届いているのかと思ってしまうよね。社会にはマニュアル化されていない暗黙のルールがあまりに多くて、A×B=ABだと思って数式のように解を導くと、突然社会から爪弾きにされてしまうってことがあるよなあと。ベルトコンベアのレールから一度外れたら、なかなか戻れないというか。合理性だけを追求すると成立しなくなる物事や仕事って色々あると思う。無意識のうちに非合理を緩衝材にして世界は回っているのだなと思わされた。

にしても絵本くらいの感覚で滑るように読み終わってしまった。冷めてもおいしいと思うコーヒーが自分の好きな味みたいな説(?)を聞いたことがあるけど、目が跳ねる(滑るではなく)くらい若干読み飛ばしても理解できるくらいが自分の好きな文体なんじゃないかなと個人的には思ったりします。

 

  蜜蜂と遠雷恩田陸

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

 

 一冊通して一つのコンクールを描くという試み自体は格好いいけど、この構成でメリハリつけるのはやっぱり難しかったのでは。一次、二次、三次審査と進んでいく流れはどうしても単調で途中からやや退屈に。展開上、当然主要人物たちがほぼ順当に選考を勝ち抜いていき、大きく想定を裏切るできごともなく、同人物の演奏シーンが二度、三度繰り返されるという。演奏の表現も段々と抽象が極まり、精神世界みたいになっていくので文章で音楽を表現するというのは本当に難しいなと思った。(演奏者ごとのスタイルの書き分けは見事!)クラシック業界の残酷さや泥臭さ、クローズドな伝統などリアルな描写はちりばめられているんだけど、人物たちのスキル設定がやや飛躍して見えてあまり好みとははまらなかったかな。劇的な表現に気圧されたのもあるかも。

 

 堕落論坂口安吾

堕落論

堕落論

 

 表題の堕落論をはじめエッセイ13篇を収録。「うっはーーー!なんだこの人おもろ!!!」という第一印象。笑 まだエッセイしか読んでないので語るのも烏滸がましいんだけど、この一冊を読んで感じた安吾は、とにかく歯切れのよい文を書く人。人間・人生のあらゆるもの諦観した先の開き直った前向きを持った人。人の煩悩も強欲も脆弱も丸ごと肯定した人間愛を感じて、もうひたすらかっっこいいなと思った。もはや夢女子。こんなに痛快な文を書ける人が、今の時代にいるだろうか?好きだなーーー。

私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。闇の女は社会制度の欠陥だと言うが、本人達の多くは徴用されて機械にからみついていた時よりも面白いと思っているかも知れず、女に制服をきせて号令かけて働かせて、その生活が健全だと断定は為しうべきものではない。

(新堕落論

「新堕落論」のここ好き。エッセイの概念が自分の中で変わった。安吾のこの文で人々の戦後の様子を知ったとき、「過去を知る上でこんなに当時の人の体温を感じる資料ってないのでは?!」と感銘を受けた。過去も現在も、人の営みや本質そのものは何も変わらないんだとハッとする。

デカダン文学論」のこの部分は読んで泣いてしまった。好きな一文って、文字の羅列の中からくっきりと浮き出て見えるから不思議だ。

元より人間は思い通りに生活できるものではない。愛する人には愛されず、欲する物は我が手に入らず、手の中の玉は逃げ出し、希望の多くは仇夢で、人間の現実は概ねかくの如き卑小きわまるものである。けれども、ともかく、希求の実現に努力するところに人間の生活があるのであり、夢は常にくずれるけれども、諦めや慟哭は、くずれ行く夢自体の事実の上に存り得るので、思惟として独立に存するものではない。人間は先ず何よりも生活しなければならないもので、生活自体が考えるとき、始めて思想に肉体が宿る。

デカダン文学論)