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映画「花束みたいな恋をした」感想 夢と袂を分かつとき

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友人に「ねぇ見た〜?」って絡みたくなる映画であり、一回は行っておいて損をしない映画なのは間違いないと思う。朝井リョウの『何者』ぶりに、後ろから刺される感覚の作品でした。刺されるのが嫌いじゃない方はぜひどうぞ。笑


※以下内容や台詞に触れるネタバレあり


爽やかにラッピングされた、しかしリアリティのある毒

「ミイラ展」「天竺鼠」「今村夏子」「ゴールデンカムイ」「宝石の国」ーーこの主人公たちがいるのは、わたしたちがいる世界と地続きだ、と思わせる固有名詞の数々。このリアリティが、ときに毒気のある生々しさにも化けていた。坂本裕二脚本ならではの視点が生む台詞群、その毒が癖になる。あるときは麦と絹それぞれの視点で語るモノローグで。
またあるときは、付き合いたてセックスにハマった三日三晩のダイジェストで。特に苦笑してしまったのは「ここで“した”笑」「ここでも“した”笑」って本人たちの声で語らせつつ、部屋のこたつやキッチンのカットをパッパッと切り替えていくカットとか、日中の明るいカフェで笑い合う二人を映してからの「パンケーキ食べてるけど、したあとの二人。笑」ってモノローグ。あ〜〜〜()って感じ。みんな言わないだけで自他に対してそういうこと考えるよねっていう。。人は社会性の皮を被った動物だなっていう滑稽さと、ユーモア。
そんな感じの、生っぽい風刺がそれとなく全体にちりばめられてるんだよね。パンケーキのくだりは「このあとめちゃくちゃセックスした」構文ぽいなと思ったんだけど、こういうインターネット由来っぽい言い回しがふんだんにあるの、ひと昔まえのサブカル、ないしはオタク的な価値観が浸透している我々の世界だな〜と。観客に自分ごと化させるのがうまくてそれが効果的。なぜなら、人間は自分の話されるの嫌いじゃないから。。

倦怠ムードからの口論が絶品、一にも二にも有村架純

ピリピリしまくってるシーンでの二人の演技が冴え渡りまくっていて、この場面を見にもう1回行きたいくらいですよ。口論の最中での麦の悲痛な叫びゴールデンカムイは7巻で止まってるし宝石の国ももう話覚えてないし、パズドラでしか息抜きできねえよ!!」はあまりに名言すぎないか???笑 つ、つらい。資本主義の成れの果ての僕らって感じだ。苛立ちのあまり指をトントンする麦。この喧嘩のシーンの後に、どちらかが家を飛び出すでもなく、お互い言いすぎたことを形式的謝ってダイニングテーブルで食事を出す……という流れも非常にリアル。

あと特筆すべきは、というか驚いたのは、有村架純さんのきめ細かな演技。有村さん演じる絹、一見些末に思える会話の切り返しや所作の中に、ぜつみょ〜〜〜な濃度で感情を滲ませるんですよね。もう、それが、水を含みすぎた絵の具で筆を寝かしたような淡いグラデーション具合で。例えば麦絹が意気投合した居酒屋での、少しムッとした「すいません」や、口論のシーンでの渇いた「ハハッ」や怒気溢れる「『またか』とは思うよ またかだからね!」、相手に反論したい思いを飲み込んで飲み込んで飲み込んで漏らす「……そうだね」とかとかetc……。この映画で好きだった絹の台詞まわしリストが作れそうですよ。こういった繊細な表現は日頃の人を見つめるまなざしがあってこそだと思うので、有村さんの脚本読解力、洞察力が素晴らしいのだと思いました。

作品の中心に根を張る「時間」という存在

この映画は基本的に、男女が出会ってから別れるまでを時間経過と共に淡々と描いていく構成で、分かりやすい恋の障壁(恋のライバル、事故、病魔など)は存在しないんですよね。これについては坂本裕二さんがパンフレットでも「何も起きなくても恋愛ってそれだけでおもしろいはず」「長い期間付き合って結婚する、あるいは別れるというカップルについて描きたいと思っていた」と語っていました。
二人の世界を中心に描くストーリーの中で、本筋に関わってくる脇キャラはほぼいないに等しい。そんな中で、この作品の中心にどっしりとあるのが「時間」という無常で平等な存在なんですよね。この「時間」を、(実在するバンドでもある)「Awesome City Club」PORINさんという登場人物をもって表現したのはうまい演出だな〜と思いました。まるで、ふと思い出したタイミングで腕時計を見るかのように、ちょうどいい塩梅でPORINさんが登場する。ファミレス店員だったPORINさんは活躍するアーティストになる一方、麦は夢だったイラストレーターではなく物流関係の営業職へ、絹はクリニックの事務職へ。時間経過とともに、麦と絹の生き方の対象性がくっきりと見えてくるあたりもじつに皮肉。

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趣味と労働と

学生時代から始まった麦と絹の関係性の結末について、「労働」は決定的要因ではなく、あくまできっかけだと思いました。運命のように、自分の似姿である相手を愛したけれども他者はあくまで他者だった。学生のときは比較的のんびりのほほんと話していた麦が、労働に染まっていくにつれ話し方も挙動も“せっかち”なそれになっていたのには「ゲッ(既視感)」と思いました。個人的には自己啓発本よりもここがきた。なにより辛かったのは、かつて生活の中心にあったカルチャーが麦の中で消失していったこと。しゅん……としてしまいました(ゴールデンカムイのパラ読みはゴールデンカムイに失礼だろうが!笑)。

その他気になりポイントなど

全体の印象として、傑作といって申し分ない見事な仕上がり、かつ自分の好みとしても好き!悔しい!って感じです。あえていうのなら個人的にう〜ん?だったのは、ジョナサンで別れ話をする最後のシーン。若いカップルがかつての自分たちとほぼほぼ全く同じ行動を取る……というのは、この作品のトーンからするとちょっとトゥーマッチ感があったかなと(でもこのシーンで泣けた、という感想もけっこう見かけたんですよね)。あとぼんやりと気になったのは、サブカルチャー嗜好の人々をどう描きたかったかということ。この映画、チラっと意地悪な部分が見え隠れする。そこに意図がないと言ったら嘘でしょう。

ちなみに、作中に出てくる固有名詞が理解できるとかできないとかは、本筋そのものに影響しない(もちろん、分かったらよりギャー!ってなるんだろうと思う。自分自身そんな詳しくない)。また他の方の感想でちらほらと見かけたのは、作中に出てくるこれらのタイトル群が、二人の年齢に対してジェネレーションがやや上じゃないか?という指摘。わたし自身、麦絹とほぼ同世代の文化系オタクではあるんですが「まあ言われたらそうかな……」と思う。麦と絹という人を作り上げる過程に関しては、坂本裕二さんがある特定の方をインスタで長い期間リサーチし、それに基づく人物造形をしたとのことはパンフレットにも話がありました。このへんに関しては趣味嗜好の話になるので、う〜んポイントというよりは「まあ21歳でその辺が好きな人もいるんだろう」と納得しています。(なんなら、そのニッチ嗜好が二人の連帯を強めたのかもしれない)


あと「全く同じ小道具・言葉に感じる意味合いが、シーンによって別の意味を持つ」と経験を観客全員がしたと思うんだけど笑、これは多分連ドラよりも映画の方が効果的に活きる演出で、この辺りも非常にうまかったですね。
だらだら書いてしまいましたが、そんなことを思いました。


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スケブ風パンフレットかわいい。鑑賞の記憶ガイドにはいい品です。



【追記】本記事を「週刊はてなブログ」にピックアップしていただきました。

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