記憶が保てるように

主に舞台や本、映画などエンタメと日常の話

6月観た映画 カルチャーオタクの梅雨

 

6月になり緊急事態宣言が明けてから、やりどころのなかったカルチャー現場欲が爆発して映画をちょこちょこ観に行った。これまでは欲の注ぎ先が舞台や美術に分散されていたんだけど、この状況なので映画に一極集中している。客席の前後左右1席とばしは、観客の身としてはただ贅沢な思いをするだけで心苦しくもあるんだけど、今映画がそばにいてくれて本当にありがたい。拝啓エンタメ圏のオタク、お元気でしょうか。例の如く感想を書きます。

 

 Red

f:id:qooml:20200708193145j:plain

島本理生さんの本を読みあさっていた少し前、『Red』の原作についてもブログを書いた。

小説『Red』を読んで 島本理生さんのこと - 記憶が保てるブログ

アニメーション以外の邦画、かつ恋愛ものを観たのは相当久々だった。原作の鞍田(主人公・塔子の相手役)は渇きと疲れ、そしてほの暗く底無しの熱情を秘めた男で、島本さん作品の中でも特に強く印象に残っている男性キャラ。妻夫木くんが鞍田と聞いたときは正直「若い?」と思ったんだけど、結果演技でねじ伏せられた! それに並び好演だったのが、柄本佑演じる小鷹(塔子の会社の同僚)。佑さんの “余裕ある系のなんかえろい同僚男性”、近頃めっちゃ既視感がある気がしますけど毎度「ええな……」ってなりますね。マザコン夫を演じる間宮祥太郎は配役が絶妙。間宮くんこそまさに、役の設定と比較して(恐らく)役者が若いぶん、見ていて別の意味でつらいんですよね。夫の「親に愛と世の中への偏見を注がれて育った無垢なぼんぼん」としての側面が強調されるというか。

内容はというと、映画オリジナルの設定改変や演出がいまひとつ外していた印象。映画版では塔子たちの勤め先が建築会社で(原作ではIT系だったはず)、“家”が二人の関係性を表す象徴的なモチーフとして使われているんだけど、それがいまいちプラス効果になっていない。“二人の理想の家”的なジオラマの設計図が素人目にもお粗末だったり、二人で作業をしながらいちゃいちゃするシーンがどーにもチープでな……。不動産のCMっぽいというか、鞍田のパーソナリティと仕事ぶりがリンクしなくて説得力に欠ける。邦画にありがちな分かりやすい商業タッチになっちゃってるなーというのが残念。映像が綺麗なので見心地は良い感じ。

 

天気の子

TOHOで新海誠作品を特別上映してくれており、また劇場で観られて大変ありがたい! 本当にこの映画、何回観ても飽きないんだよな。3回目だったので「さすがに途中で飽きたりする?!」となりながら観に行ったんですけど、始まってしまえばそんなこと忘れさせる、テンポの鬼良さと展開力がすごい。わたしは帆高と陽菜の関係性の、向き合っているようで目線が違うところがすごく好きで。(『リズと青い鳥』の好きなところと似ている)六本木森ビル(断定)のスカイデッキでのシーン(帆高がぽーっと陽菜を見つめているのに対し彼女は「好きだな、この仕事」と言う)が象徴的だけど、帆高が恋愛感情で彼女を支えたいと思っているのに対し、陽菜は自己実現、すなわち晴れ女の仕事の方に最も充足感をおぼえ、心を揺り動かされていて。その二人の感情の描き方がほんっと的確で絶妙。帆高と陽菜は恋愛要素以上に“戦友”なんですよね。お互いが特別でありながらもズレを肯定するような、心理描写のリアリティは『君の名は。』から圧倒的に磨かれた点だなと思う。

観終わって新宿TOHOから歌舞伎町の路上に出ると雨が降っていたのが無性にうれしくて、、“現実の世界の見方が変わる”映画ってもう成功じゃん……!と噛み締めたのであった。あとはIMAXで観られたら心残りはないぞ。

 

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

f:id:qooml:20200708193252j:plain

恥ずかしながら原作未読で初めての若草物語だったんだけど、この映画版で若草物語デビューできてよかったと確信できる名作だった。(物語の魅力としても、映画版のクオリティとしても)名作や古典を新演出で観られるのは現代人の得ですよね〜。時間軸の交錯やメタ構造など、オリジナリティ溢れる“ひと工夫”のセンスの良さにうなるし、それでいて作り手の原作愛も根底に感じさせる。「どんな道を選んでもそれがあなたの正解」だけじゃなく、「どんな道を選んだとしても苦難や孤独は存在する」まで描いたのがこの映画のシビアさであり、何より優しさだと思った。自分自身は異性きょうだいなんだけど、実際に姉妹がいる人からこの映画の感想を聞くのが楽しい。安直すぎるけど男兄弟版の若草物語的な作品(リアルな男性感情という意味で)があったら観たいですね。

 

風の谷のナウシカ

終わった後一緒に観てた人と「すごい、、」「もうほんとすごいわ、、」って脳直感情を投げ合って、理性のある言葉がしばらく出てこなかった。笑 民がナウシカを見つめる曇りのない信頼の目に、彼女がこれまでどのように振る舞い、愛されてきたかという人生が見えて号泣してしまうんですよね……。「周辺人物の台詞や動きからその人の人柄を浮き彫りにする」脚本技術がすごい。ナウシカは一貫して他者のために動く人なんだよな。彼女が唯一エゴで動くのは父親がトルメキア兵に殺されたときだけで、あとはずーーっと腐海の虫たちや谷の民の平和を考えている。その生来の(と見える)利他的な姿勢がどこか天皇に近いようにも思った。(ばりばり戦闘するけど)

そんな彼女の存り方に、今をときめくベストセラー本『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で語られていたシンパシーとエンパシーの違いの話を思い出す。

www.shinchosha.co.jp

シンパシーとは「他者を思いやる感情」、エンパシーは「他人の感情や経験を理解する能力」であるというもので、ナウシカはこの“エンパシー”に極めて長けており、“誰かの靴を履いてみること”(英語圏でよく使うフレーズだそう)ができる人なんだよな〜〜。ただこの作品に現代を見たとき、彼女のようなリーダー像を崇めてはいけないとも思ったな。ナウシカはカリスマだけど、あのラストもバッドifルートでは人柱エンドなので。世界のために死に飛び込むのがナウシカであり、天野陽菜ちゃんなんですよね……。

 

もののけ姫

f:id:qooml:20200708193334j:plain

「開始5秒で名作だと確信する」みたいなのよく言うじゃん。わざわざ言いたくないけどもののけ姫は本当にそう言いたくなってしまう。だってこれは名作だーー(大声)。タイトルが出てくるまでの10秒くらいでアカン、涙が出る。この作品はアシタカもサンも、もののけもタタラバの者たちも、ジコ坊も、メインストリームから外された者たちによる生命戦争なんだよな。森VS人間(タタラ場)の二者で争う構図だったのが、終盤構造が一気に複雑化して混沌とするという展開の加速度もすごい。エボシが落としたシシ神の首を若いアシタカとサンが返還するというラストは、「先人が遺した負債に次世代のお前はどう向き合う?」という鬼気迫る問いに感じられ、腹の底が重くなった。この映画で問われているのは、今の自分たちだ。

特にシシ神周辺の演出のこだわりが好き。タタラ場で撃たれて瀕死のアシタカの元にシシ神が現れるシーン、何もない地面の定点の抜きが数秒(この時間がとても長く感じられる)、静寂。そこに地を踏むシシ神の足がフッと現れる。この場面の張り詰めた緊張感たるや、絶対に映画館で観てこそ生まれるものだよ。最高だった。

そして幼いころから何度も聴いてきた、久石譲の劇伴。もののけ姫はストリングスのうねるような音の力強さが印象的で、視覚で見える以上の森のスケール感を、音楽がどこまでも押し広げてくれる。明確に“聴かせる”意図を感じるOPに始まり、アシタカが西へ向かう旅路を風景とともに引きで映す(普通の映画なら地味に感じるようなサブシーンにもかかわらず!)場面も、音楽への絶対的な信頼を感じる。台詞が一切ないのにたまらず泣いてしまった。音楽と絵がアシタカの故郷との別離と宿命、彼の抱える思いを想像させるから。自然と共にあるもののけ姫の音楽は、厳しく逞しく豊かで、美しい。

余談だけど、ハピエンの本編後の世界についてもぼんやり考えてしまう。アシタカとサンは以降も共に生きられるだろうけど、タタラ場とアシタカ、森とサンはどこまで志を共にできるだろうか。人間は生きているだけで自然を脅かし続けている。また今でこそそういった作品が増えているけど、もののけ姫は90年代において勧善懲悪を否定しているのね。100%正解のない世界で皆がそれぞれの思惑で動いていた。分かりあえないことを認めた先で、違うもの同士が共存する難しさ。それは2020現在、これからの話でもあると思う。

 

 

ジブリならあまり映画の話をしない友人とでも内容について話せるから、「ジブリ観ましたか!!」みたいなダル絡みをついしちゃう。笑 好きな作品について、新作上映時ばりの新規感想を読めるって超おいしいイベントですね。。ぜひ今回の4作以外も続けてほしいけどな。久しぶり映画館の一発目のとき、当然といえば当然なんだけど上映前のCMが3月くらいと同じ内容で「ここはときがとまっているのか。。」とSFチックな気持ちになった。そのお陰でロング上映や再上映の恩恵に預かっていますね。映画館で観るのがあまりに楽しくて嬉しくて、やっぱり心が喜ぶことをしないと生きていけないと確信する。

いつになく毎月ブログを書いているけどこれもコロナ疲れなのかな。刻一刻と状況が変わる中、ブログもちょっとの間下書きに寝かせておくと「これはもう今じゃないな」となり、リアルタイム性がとても出ますね。そんな日々を少しいつもより記しておきたいのかも。(このブログ読み返すと初期のテンションとだいぶ変わっててうける)はやく友達と気兼ねなく集まったりしたいねぇ。